帰省 番外編 [帰省]
コピーをとりに、近所のサークルKへ。
わさお商品がいっぱいでした。
やく氏って、ご両親が角館出身なんですね~。知らなかった。
隣の美女は、大館生まれ横浜育ちのジャスシンガーmegさん。
なかなかインパクトあるポスターです。
帰りのバスの中で食べた鶏めし弁当。やっぱ、うまい!
久々に、顔出ししてテンション上がりました!
悲しいお別れ [帰省]
3月2日、伯母の火葬、4日はお葬式でした。
伯母は体調がいまひとつだった為、
仕事も体力的に辛いらしく、やめたいと言っていたそうです。(実家は、青果店)
一階が店舗で二階が住居スペース。
階段の上り下りもきつくなってきたので、
店もそろそろ閉めて、
使わなくなった一階の倉庫スペースを部屋にするリフォームをしていたそうです。
それが、もうすぐ完成するところでした。
これからゆっくりできる、そんな矢先の出来事だったのです。
なんともやりきれないです。
残された家族がね、辛いままだよね。
死ぬ前に、一瞬でも家族の事、考えてほしかった・・・。
私、子供の頃、ささいな事で「死んだら楽になれるのかな?」って思った時があって、
でも、その前に、「自分が死んだらどうなるのか考えてみよう」って思って、考えたのね。
そしたら、いろんな人が泣いてて、なんかこれって、すごい迷惑かけんじゃん!
って思ったら、うかつに死ねないなって思った。
悩んでる時に、話を聞いてあげられなかったこと、みんな悔やんでいると思う。
母が、先祖の供養だけは、ちゃんとやらなきゃダメよ!と、私と弟に言った。
そこの家は、家業が忙しいからと言って、おじいちゃん、おばあちゃんの供養、
あんまりちゃんとやっていなかったから・・・。
そういうの、全部、生きてる自分にふりかかってくる。
まぁ、一つの考え方だけどね。
1月におばあちゃんの見舞いで帰省した時、
おばあちゃんの甥っ子が、奥さんと病院に見舞いに来てくれたんだけど、
その帰り道、交通事故に会って、救急車で病院に戻ってきたそうだ。(後から聞いた話)
車は大破したけど、二人は、軽い打ち身ですぐ退院。
相手の人も無傷だった。
たぶん、ご先祖様が守ってくれたんだと思う。
おばあちゃんが天国へ行って、これで、親の世代に世代交代。
先祖の供養とか、なんか身近にひしひしと感じられる、そんな年齢になってきたなぁと思う
今日この頃です。
お葬式 [帰省]
男の人は、後ろ襟に、女の人は、髪に、さらしを付けます。
理由は不明。昔からですね。
お寺でやるより、快適でよかったなぁ。暖かいし!
途中、坊さんのお経の時、誰か寝てたー(笑)
※今の住職は、先代が早くに亡くなられた為、まだ若いです。ユリオカ超特q似です。
こんなのあるんだね!(好物ろうそく)
供物やお花もたくさん。最近は、缶ビールとか缶詰とか、ダミーなのね。
運ぶとき重いから。本物は別送でダンボール箱で届くのよ。
葬式、法要、無事に終了。
その後は、故人を偲んでの食事会。
人数が少ないので、全員着席でゆっくり食べれました。
(関東の方とは、ちょっと違うかもね。大館は、東京のような通夜はないので)
昔に比べ、いろんな事が簡素化されてきて、準備とか楽になってきてます。
特に、今回は、おばあちゃん、
生前(おじいちゃんが亡くなった時)に戒名を作っていたし、お墓にも彫ってあるし、
そっち方面での準備は何もなかったので楽でした。
でも、その肝心の戒名がなんだったのかわからず、
もらっているはず?の用紙も見つからない、
寺も、先代の住職が付けたからわからんとの事。
その為、おじさんと、弟が、墓までスコップ持って見に行ったのである(笑)。
なんせうちの墓は、一番奥なので、冬はたどりつくのが不可能。
それでも最近葬式があったとかで、途中まで道がついてたらしく無事生還。
おばあちゃん、ちゃっかり、おじいちゃんよりいい戒名付けてんだよね~。
いやぁ~でも、遺影の写真とも雰囲気が合って、立派なかんじだったよ。
最近って、遺影の額縁もカラフルなんだよね。
おばあちゃんのは、薄いピンク色だったんだけど、
偶然、棺の色もピンクだったし、トータルコーディネート!?で素敵でした。
きっとおばあちゃんも喜んでいることでしょう。
2月28日 [帰省]
葬儀まで間が二日あったので、比較的ゆっくり準備が出来ました。
が、この日の昼過ぎ、
伯母が自ら命を絶つという事件がおき、大変な騒ぎとなりました。
本当ならすぐに駆けつけるところなのですが、、
うちもまだ葬儀すら終わっていない為、動くことができません。
最近ノイローゼ気味との事で、心配してたところでした。
病院変えた方がいいよとアドバイスし、
3月1日に検査に行く予定でした。
伯父は、検査に付き添うので、うちのおばあちゃんの葬儀には出れないということで、
長男を埼玉から呼び、出席させる予定になっていました。
後から聞いた話ですが、その長男君は何も知らずに、
家の前にパトカーが止まって大騒ぎになっているので、びっくりしたそうです。
いくら秋田県、自殺者が多いとはいえ、身近でこんな事が起きるなんて。。。
こんなこと、あっていいのか・・・母は絶句していました。
なんだか眠れず、朝が来ました。
28日は、おじんちゃんの命日です。
おばあちゃん、おじいちゃんの命日の近くに逝ったんだね。
さらには、弟の命日と一緒だったようです。
子供がいなかったおばあちゃん。
おじさんが昔、おばあちゃんに聞いたことがあるそうだ。
兄弟達、皆、子沢山なのに、なんでうちのおじいちゃんと、おばあちゃんの間には
子供がいなかったのか?
おばあちゃんの話だと、おじいいちゃんが子作りしてくれなかったらしい。
おじいちゃんと、おばあちゃんの間に何があったのかは、もはや誰も知らない。
でも、母を養女にもらい、おじさん(おばあちゃんの姉の子供)も育てた。
おじさんは、生まれて間もなく母親が亡くなったのでおばあちゃんに育ててもらったのだ。
どれだけ、かわいがっただろう。どれだけ、愛を注いだだろう。
そして、母も、おじさんもグレることなく、よく育ったもんだ。
私は、おばあちゃん、おじいちゃんを誇りに思う。。。。
2月26日 [帰省]
13:40、お別れの儀。
おばあちゃんに、薄化粧をしてあげた。
紙に書いたお金も、いっぱい持たせてあげた。
棺の中に、お花をいっぱい入れた。
この時、用意してくれたお花も、ピンクを基調にとってもかわいい花ばかり。
14:10自宅より出棺。
15時火葬。
この日は、寒かったけど、いい天気だったよ。
火葬から戻って、お清め。
注文していたお寿司、オードブルをつまみ、酒を飲む。
18時頃には解散し、寝床の準備。
家には、おじさんと、弟も帰ってきていたので、
湯たんぽ準備したり、布団敷いたり。
父は、超酔っ払って、手に負えないかんじ
お花もたくさん届けられ、賑やかです。
2月25日 [帰省]
前日、23時に寝て、次に目を覚ましたのが1:40分。
母と、「息してるね」と確認。
苦しいのか、舌を出している。酸素を欲していたんだよね。
今考えるとそう思う。。。
前日あまり寝ていなかったのと、雷雨の音で、その後くたっと眠りました。
雨の音で、寝息も聞こえなかったし・・・・。
おばあちゃんが、寝せてくれたんだと思います。
次に起きたのが朝5時。雨もだいぶ弱くなっていた。
母が「息してねぐね?」と言って、父を呼びに行き、すぐ119番。
普段から顔も冷たかったし、脈も、どこ触ってもいまいちわからないし、
ほんとに死んでいるのかよくわからなかった。
救急が到着するまで心臓マッサージしてくださいと言われ、
やってみたが、手ごたえはぜんぜんなし。
口は、死後硬直で堅く、もはや開かない状態で、
あ~だめなんだなぁ・・・って思いました。
救急の人が来たけど、
死斑も出ているし、亡くなってたぶん三時間はたっていますねとのこと。
死亡時刻はたぶん午前二時だろうと。
私達が最後に見て、まもなく天国へ旅立ったようだ。
あぁ~、あの時が最後だったのか・・・と思うと、
最後に、一緒にそばにいてあげられて、本当によかったと思いました。
で、AEDもすることもなく、いちおう心電図をとってみたけれど、心拍停止状態。
救急隊員が、警察に連絡をとってくれて、
しばらくして警察の人が到着。
検視が始まり、私達は部屋から出され、居間で事情聴取。
最近、町で、保険金殺人などがあったせいもあり、けっこう根掘り葉掘り聞かれた。
警察官いわく、事件のあった家は、
家に入った時に、だいたい雰囲気でわかるのだそうだ。
病院に最初に入院した日付、ペースメーカーの手術日、
年金の金額、家族の収入、私の帰省日付、
薬の投与の記録、最後に見た時間、
傷やあざは、いつから、なんでついているか?、
虐待するわけないやん(笑)
本当にこと細かく聞かれた。
それでも、母が、闘病日誌をつけていたので、
それを見せると、「こーいうのがあると、大変助かります~」だって。
おばあちゃんの苗字と、両親の苗字が違うのも聞かれ、
父が説明すると、「あー、サザエさんのマスオさんね!」(笑)
なぁ~んにも問題ないですね。ってことで、聴取は終了。
しばらくして監察医到着。
ペースメーカーは、火葬の時に爆発するので、切開して出してくれた。
警察の人が、
時間外?になるし、死亡診断書は、ちょっと高いよ、たぶん三万くらいと言っていた。
そ、そんなにするの?ってことは、病院で死んだほうがいいのかな?
しかも、その診断書午後三時じゃないと出ないってことで、
それまで、とりあえず、買い物行ったり、銀行行ったり、葬儀屋に連絡したり、親戚に連絡したり。
午前中には、主な親戚の人達が到着。
おばあちゃんの、姪っ子、甥っ子達が着てくれました。
男の人達は、駐車スペースの雪かき。
女の人達は、昼ご飯、晩ご飯の準備。
そういえば、死亡時刻が2時頃だと言った時、
おばあちゃんの実家の家と、親しかった友達の家の電話が2時頃鳴ったそうだ。
ってことは、やっぱり2時頃なんだろうなぁ。
お昼、皆で、わいわい、おばあちゃんの話などをしてにぎやかだった。
ふと、おばあちゃんを見に行くと、顔が笑ってる!
死んでからも、顔って変わるんだね~びっくりした。
そして、とてもいい、おだやかな、笑っている顔。
みんなの話を聞いていたんだね。
ホントに生きてるみたいで、何度も目を疑ったほどです。
15時頃、父と死亡診断書を取りに行き、市役所へ死亡届を出しに行った。
16:30頃、急遽、お寺の住職が来てくれた。
翌日の葬儀の準備で行けないとか言ってたのに、よかった、よかった。
こういう時、お寺が離れていると、大変だなぁ。
住職の話、とてもいい話でした。
人間、誰しも自分の希望通りの日、希望通りの場所、希望通りの人達に見守られて
亡くなることなんて、めったにできない。
(うちのおばあちゃんは、幸せだったんじゃないかなぁ。。。)
でも、長生きしていれば、楽しいことも多いけど、
同じだけ辛いこと、悲しいこともたくさんもあったんだよ、と。
なんか、それって重いね。
大往生おめでとー!的な雰囲気でお祝い気分だったけど、
なんか、すごく考えさせられました。
17時過ぎに、葬儀屋の人が来て、湯灌→納棺を皆でやりました。
藤色のきれいな着物を着て、ピンクのとてもかわいい棺に入りました。
昔と違って、今はいろいろと種類があるんだね。
こういう色身なんかのバリエーションも、大切だなぁ~って思いました。
どうせやるなら、センスが良くて、見栄えする方が気持ちいいんもん。
この日は、線香を絶やさぬよう、居間でごろ寝。
皆、疲れたのか、ちょっとダウン気味。みんな歳とったなーと思った。
帰省二日目 [帰省]
帰省して、そうですねぇ~2月中は、毎日暖かかったです。
おばあちゃんの看病で手が離せなかった両親にかわり、
両親のお友達夫妻が、雪かきを手伝ってくれました。
庭に面した部屋のガラスが危機だったのですが、
結局途中までしかできませんでした。
おばあちゃんは、何も食べていないのに、タール便が大量に出て、
母と、「いったい何が出てるの?」と顔を見合わせてしまいました。
母が、「最後にお風呂に入れてあげたかったけど、施設に相談したら、
ドクターストップがかかって保留になっている」との事。
ならばと、買い物に行ったついでにドライシャンプーを買い、
頭をシャンプーしてあげました。
ついでに、清拭もして着替えもしてスッキリ。
左胸に入れているペースメーカーが、痩せてきて、はっきり浮き上がっています。
右肺のあたりが、異常なくらいカチカチに腫れあがっていたので、
病院へ連れて行こうか?と話しましたが、とりあえず、明日金曜日でまだ平日だから、
今日一日様子を見て、明日連れて行こうということにしました。
私達も、夜、ちょこっとビールを飲んで、お風呂に入り、23時に就寝。
予報どおり、夜から雷雨がすごくて、ザーザー降りに。
なんとなく、今夜危険だね~ということで、
母と、おばあちゃんのベットの横に布団を一枚敷いて、母と一緒に寝ることにしました。
つづく・・・
戻ってきました [帰省]
いろんな事があって、なんかもう一ヶ月ぐらい帰省してたような気分です。
やっと疲れも取れてきました。
これから数日は、帰省日記になります。
なんか書くことで心の中が整理されるような気がするので・・・。
2月23日、19:22盛岡着。
雪は、車道は完全に無いです。
バス、3人しか乗りませんでした。
おばあちゃんは、数日間、
大声で「痛い、苦しい、死にたくない」と叫んでいたそうですが、
私が着いた頃には、意識朦朧中。
それでも、大きい声で呼んだら、
声にならない「は~い」という返事と、一瞬笑ったのです。
母がびっくりして、涙、涙・・・。
前の日から、食事も水も飲まなくなっているらしく、
かろうじて口を開けたすきに、スプーンで水滴を流し込んであげる。
それでも、かなり全身が痛いのか、くしゃおじさんのように顔をぎゅーっとしかめている。
とりあえず、呼びかけに目を開けて返事をしたので、少し安心して就寝。
だが、夜中中、うめき声が聞こえて眠れず。
声がしているという事は、生きてるから大丈夫だな!
と思うようにして眠ろうとしたのだが、だめだった。
朝5時頃、一瞬眠りに落ちていた時、屋根の上でカラスが騒いでいた。
最初、カラスだと気付かず、
「はよ来い!はよ来い!カー、カー、カー!」と聞こえて飛び起きたのだ。
なんて不謹慎な奴!と怒りがこみ上げできた。
おばあちゃんの部屋に行ったら、まだ生きていたので安心した。
でも、手を上げて、何かつかもうとしてる?
なんだろう?幻覚でも見ているのか?
おばあちゃんの弟が死ぬ間際に、こういうかんじだったらしい。
親戚の人が、似てるなぁ・・・と言っていたそうだ。
つづく・・・。
鶏めしの味 [帰省]
来月はアメッコ市 [帰省]
早く春にならないかね~。
しっかし寒い。
帰省中、たまたま名古屋から帰省していた友達と、
ちょろっと会うことができた。
「みんな、よぐ、こんた(こんな)どごろ(場所)で暮らしてるよな~」
冬場、久しぶりで帰省した私達は、
「こんな寒い場所、自分には絶対無理!」とお互い言いながら、
ツルツルすべる道を、きゃ~きゃ~叫びながら歩いていました。
※歩くのがこわいので、靴買いましたけど(笑)
家族団欒 [帰省]
病院での夕食。この日は、母がいったん家に帰り、ハタハタを焼いてきた。
毎日、日中ちょこっと帰っては、漬物やら煮物やらおひたしを持ってきて
みんなで病院で食べる。
病院に泊まる前には、「親戚から送ってきたしし肉があるから、しし鍋食べよう!」
とか、「タラバもあるから!」と言っていたのだが、そんなの食べる暇ねー(笑)
週末、弟も帰省した。
おばあちゃんの意識がはっきりしているうちに俺も帰ろうかなーってことで。
思わぬ家族の集合で、母はちょっと嬉しそう。
そして四人だけで御飯食べるって、何年ぶりだろう。
弟には、着くなり家の雪掻きをしてもらった。
さすがに早い!あっという間だ。
最近どこの家も若い人がいないので、雪掻きが大変。
お向かいのおばさんなんかは、滑って腕を骨折中。
その隣のおじさんは屋根の雪下ろし中、屋根から落ちて肋骨三本と頭を打撲。
同じ病院の下の階に入院していた。老体には厳しい季節だ・・・。
オランダせんべい購入。やっぱ、これを食べないとはじまらない。
病院は数年前に建てかえたばかりなので、新しくきれい。
昔、おじいちゃんが入院していた頃は、古くて、寒かった。
ベットの脇の床に布団をしいて寝泊りしていたおばあちゃん。
私が、高校生だった三年間、病院に寝泊りしていた。
大変だったよね・・・・。
そんなことを思い出し、今は快適になったなぁ~と思った。
もちろん泊り込むのは疲れるけど。
そんなわけで、家になんか取りに帰ったり、病院と家の往復をちょこちょこ。
家の車はマニュアル。しかも、冬道なんて二度くらいしか運転した事ないから、
ぜったい無理。自分の役立たずを悔やむ・・・・。
自分が通った児童館。今は、父が館長をやっている。
滑り台がかわいい
そうそう、我が家族にとって嬉しい出来事が一つありました。
弟の子供(姪っ子)がモデルデビューした雑誌が発売になったのです。
さっそく発売日に買ってきて、病室で大騒ぎ(笑)。
みんなメロメロです。
どうにかしてあげたいけど。。。 [帰省]
マスクを付けていると、唇、口の中が乾燥して、皮がむけて、
目を覆いたくなります。
そして、じきにマスクが当る頬や顎には、じょくそうができ、
「痛い」、「マスク取って」と言い出しました。
ちょっと目を離すとマスクを完全にずらしてしまいます。
体もあいかわらずかゆそう。
寝たりきりのせいか「疲れた」と言って、足をもぞもぞ。
しんどいだろうなぁ・・・。
看護士さんも、ヘルパーさんも、お部屋を掃除してくれる人達も、
よくしてくれます。本当にみんなありがたいです。
かわいそうだけど、がんばって!
田舎はカレーブーム? [帰省]
三日目。おばあちゃんも日中はおとないしいので、
病院のわりと近くにある「ハチ公小径」へお昼を食べに行った。
店内は狭いけど、まぁ~こんなもんでいいんじゃない?
レディースセットを母と半分こして食べた。
大館にしては、ちょい高めの値段設定だと思ったけど、美味しかったので納得。
カレーがねー、どれも美味しかった!(チキン、シーフード)
他にも小径には、フードコート「ハチ公こまち」、ハチ公みやげ店「HACHI」、
地産地消の店「ハチ公庵」、レンタルキッチン「一日店長の店」があります。
それにしても、カレー屋が軒並みに増えてるんだけど、なんで?(笑)
なぜかボケてない [帰省]
レントゲン検査の結果を期待したが、さほど良くなっていないとの事。
尿が出ないので、肺に水がたまってレントゲンは真っ白。
利尿剤を注射してもらっているのだが、それでもまだダメらしい。
それでも、しゃべる事はなぜかまともで、
久しぶりにおばあちゃんといっぱい話しをした。
「いい子だねぇ~」と言って、頭もなでてくれた。
そんな事、今まで言ったこともないよね(笑)
今帰らなかったら後悔する・・・と思って帰ってきたはいいが、
もしもの事があったら、はたして自分は直視できるだろうか?と
帰って来た事を少し後悔もした。
みんないつか死ぬんだから。。。と頭ではわかっていても、
なかなかそれを乗り越えるのって、実際大変だよな。
見舞い帰省 [帰省]
昼から、父も母もそれぞれサークルや婦人会などの新年会で外出。
父は飲みで、二次会も出るからってことで、
病院へは、母と夕方のバスで行くことに。
この時点では、まだのんきな私達。
しかし、病院に行こうと玄関で靴をはいていると父から電話。
父の携帯に、病院から電話があり、
おばあちゃんが「家族を呼んでくれ」と言っているとの事。
そんな事今まで言ったことないし、
病院側は、容態が悪くなったって言ってるわけじゃないんだから大丈夫なんじゃ?
ってことで、バス停に向かった。
ところが、バス来ねー!冬だからしょうがないけど。
で、またまた父から電話。
先生が話があると言って待っているから早く行って!との事。
その後、母の携帯にも電話があり、
「一人で聞くのが心配だったら、誰かと来てください」との事。
母は、娘とこれから向かうところなので・・・と。
やっとバスが来て・・・それでも30分はかかる。
病院につきエレベターを降りると、
父が飲み会からタクシーで先に駆けつけていて、「遅い!」と怒られる
病室前へ行くと、四人部屋から、おばあちゃんが出されているところだった。
廊下までベットを出し、看護士さん6、7人で、
おばあちゃんをシーツごと持ち上げベットの交換。そして、個室へ移動。
あっけにとられていると、先生に呼ばれた。
かなり悪く、本当なら昏睡状態になっててもおかしくないんだけど、
意識がしっかりしている。よけいにかわいそうだし、出来るだけの治療をしてあげたい。
薬はもうめいっぱい。呼吸マスクをしてみて様子を診ましょうとの事。
本人が不安がっているので、個室に移しますから、
できるだけそばについててあげて下さいとの事で、母と私は泊まることになった。
病室はわりと広くて、長ソファと、窓際にも寝れるスペースはある。と言っても板だけど。
控え室で二時間ほど仮眠しようとしたが、あまり眠れず、母と交代。
でも母も少しして、あんま眠れないと言って戻ってきた。
結局、ソファに母、窓際に私が寝た。
脱水症状もあるのか、とにかく体がかゆいらしく、
自分でかこうとすると点滴の管が動いて
機械がピーピー鳴る。その度にナースコール。
マスクも邪魔なのか、「取って」、「取っちゃだめ?」と言って、
しまいには自分で取ろうとする。
かわいそうだけど、仕方ないんだよ。
「取ったら治らないよ」と言って聞かせるが、
ベットを離れるとすかさずまたマスクに手をかける。この繰り返し。
でも、不思議なことに、ボケの症状があんまりなくて、
意識がはっきりしている。
マスクをしていると、声が聞き取りにくいのだが、それでもしゃべってる事は正気だ。
夜明け前、「ぎゃろこが鳴いている」と突然言い出した。
「カラスが鳴いている」ってことなんだけど、ちょっとビックリした。
いよいよ朝方逝っちゃうのかなぁ・・・と内心思ったりしていた。
昔から、おばあちゃんは、近所の人が亡くなると、
カラスがうるさく鳴いていたからとかよく言う人だったので。
ホントは近くまでお迎えが来ていたのかもしれない。
でも、おばちゃんの聞いた鳴き声は、飛んで帰っていくカラスの声だったのかもしれない。
夜明け前には、除雪の車がいっせいに動き出し、
町中に黄色のライトが動いていて、きれいだった。
病室は、最上階の11階。眺めは抜群。
どうやら山は、ちょっと越えたえたらしい。
戻りました [帰省]
15日(土)の夜行寝台で戻る予定が、運休になってしまい、
翌日の16(日)の新幹線で戻ってきました。
盛岡まではバス。二時間半程かかるので、トイレ休憩が一回あります。
盛岡の駅はけっこう混んでました。 おやつ購入↓
昨夜は久しぶりに布団に寝て気持ちよかったです。
母がまだ病院に泊まっているので、体が心配・・・。
Schwarzwald(黒い森) [帰省]
今回の帰省で、是非とも行ってみたかった場所。
大鰐駅からだと徒歩5分。
それは、大鰐にあるデザートレストラン「シュバルツバルト」さんです。
SCHWARZWALDとは、ドイツ南西部、フランスとの国境近くに
広がる深い森林地帯のことだそうですーパンフレットよりー
中世ヨーロッパですよぉ。ステンドグラスですよぉ。
バロック音楽が流れる中、静かなコーヒータイム。
あ~このうえなく幸せなひととき
このオレンジのプリンは、定番メニューみたいです。
人気のキッシュは売り切れでした。
遠くは、八戸から来る常連さんもいるらしです。
大館からもけっこう来られる方多いですよ~との事。
美味しかった!!
バラの季節に訪れてみたいなぁ。
大鰐の駅前をぷらぷら。なんにもなかった(笑)。
でも、なかなか雰囲気いーと思うんだけど。
おわり
今年のゼロダテ [帰省]
昼前までものすごい雨が降り続いた8月14日、
友達と、駅前でランチ。(フラミンゴさんにて)
チキンカレーを頼んだのですが、チキンがガッツリ入っていて、
とてもボリュームがありました。
友達は、チキンソテー葱ソース。
ワンプレートで、チキンのソースがさっぱり!
今度は、これ食べようっと。
店内にもゼロダテのアート作品が展示されていて、
マップを手にした人が、どんどん入ってきて、
けっこう賑わっていました。
雰囲気的に、大館以外の人かなぁ~?
腹ごなしに、駅前を散歩。
昔は賑わっていた朝市周辺の公園も、
今では、人も来ない寂しげな公園になっていました。
そして、いきなり、アート作品。
昔の朝市の場所です。
ちょっと・・・一人だったら、怖いかも・・・・
こんなの突然あるし(笑)。思わず「ひぃっ!」って叫んじゃいました。
せっかく来たからと、オナリ座へ。
今年は、オナリ座が復活ということで、映画上映も。
昔、よく一人でオールナイトとか見に来てたなぁ~。
懐かしいなぁ~。
ゼロダテの期間中は2階も公開していました。
暑い日だったら、こんなにゆっくり見れなかったかも。
技師さんが寝泊りしていた部屋だったそうです。
切符売り場では、ゼロダテTシャツや、オナリ座Tシャツ、
缶バッチなどが販売されていました。
なかなかオシャレで、思わず買ってしまいそうに・・・。
正札サイダーを買ってみました。
正札竹村デパートは、大館のランドマークでしたからね~。
懐かしいです。
つづく~
雨の夏休み [帰省]
帰省中、朝晩と、ものすごい雨が続き、
家の中で過ごすことがいつもより多かったです。
そんな雨の中でも、開花した花がありました。
そういえば、帰ったら「ニュー北京」のレポをしようと思っていたのですが、
あいにくお休みでした。残念。次回リベンジだな。
ショートステイ中の為、皆で8月15日の祖母の誕生日に面会に行きました。
和風のつくりが、癒されます。
次の日は大文字祭りとあって、施設の中もお祭り気分(笑)
さすが酒好き、秋田だな~。
仙台から秋田へ [帰省]
泊まったホテルの目の前にあるビル「AER」
の展望室から見た仙台の街。
この日も、昼から雨模様。
友達は、松島へ向かったが、大雨ですぐ仙台に戻って
家に帰ったとのこと。(自称:雨女)
自分は、昼過ぎの新幹線で盛岡へ。
盛岡からバスに乗り換えるも、ものすごい雨(台風通過)で、
全身ずぶ濡れ。とんだ帰省スタートとなりました。
夜、実家に着いて、すぐに高校の同級生との飲み。
雨もやんで少しだけ涼しくなりました。
ゼロダテも、ここ数年でだんだんなじんできた感じがします。
お盆に、ここでハチ公プロレスなるものをやるらしい。
屋台村計画はどうなったんでしょうか???
翌日13日は、朝から快晴
今年は雨の中の墓参りと諦めていたので、ラッキーってかんじ。
暑かったけど、雨よりはいいやね。
帰省中、晴れたのは、結局この日のみ。貴重な夏の晴れ間でした。
ただいま花粉中 [帰省]
今頃になって、急にすごい花粉っす。
一日中鼻かんで疲れました・・・。
もうじき五月も終わるというのに、
まだGW前の日記を書いてるし・・・。
そうそう、紫波警察署に帰りに寄って、
落とした財布にご対面! そっくりそのまま戻ってきました(祝)
いい人に拾われてホントよかった。
拾ってくれた方と、サービスエリアの売店の方には翌日TEL。
拾ってくれた宮城県のおばさんには、お礼にうどんセットをお送りしました。
わざわざ届いてからも息子さんからお礼の電話。
ほんとにありがたかったです。
宮城と福島の県境あたり?で仮眠。桜満開!
で、GW突入直前ということもあってか、夜中なのにお祭りのよう!
しかも、サービスエリアの外の店も営業中!
でも、なぜか昭和な雰囲気(笑)
夜食購入。牛タンサンド。GOOD!
玉こんにゃくは、おいしそうだったけど、買わずに、
しかし、思いっきり期待ハズレ・・・これ肉の塊りがなーい!!
たまにはハズレもありってことよ。。。。
朝は、夜中中降り続いた雨も上がり、福島盆地が良く見えました。
あいかわらず、外の売店は、昭和なかんじ(笑)
は~、これでやっと終わりかなっ。
《おまけ》
栃木に入ってから買ってもらった、靴下ー!
田舎で食べてきたもの [帰省]
まずは、ラーメン1。
ラーメン工房さんにて。鉄鍋でアツアツ!
想像よりさっぱりした味噌ラーメンでした。ながながいいがも。
そしてラーメン2。
孝白さんにて。元祖醤油だったがな?チャーシューもめがった!
飲んだ後に食べたい味。やさしい味。基本は魚だし。
実は、幼稚園からの同級生がやっている店。
前から気になってたんだけど、やっと行けました!
旦那っちは、とんこつ醤油。
美味しかったので、お盆もまた行きたいです。
駅前に、新しい店(カフェバーっぽい)ができてたので、
さっそく行って来ました。
フラミンゴさん。(昼間も飲めましたよ)
誘われオーダーしたのですが、甘いのあんまり食べれないので、
完食できませんでした。ごめんなさい。(チョコが多かったのら)
でも、なぜか惹かれる「パフェ」という響き(笑)
今度は、食事しに行こっ!
今回行けなかったけど、超気になったお店。
駅前のバスターミナル内にある食堂。
まだあるのか?と行ってみたところ、なんか小奇麗になって
まだ営業してました。しかも、メユー多いし!
次回、是非攻めてみたいと思います。
友達からもらったおみやげ。
ほんのり、いぶりがっこ味!
北国の春 [帰省]
もう、桜も終わったでしょうか?
今年は、桜が見れなかったけど、春前の田舎もなかなかいいものです。
森吉方面の山だと思います。
昔は、こんなにじっくりと山を眺めることなんてなかったけど、
う~ん、なかなかいいものです。
いつか田代岳に登りたいなぁ。
こんなところに喫茶店 [帰省]
雨上がりに [帰省]
おばあちゃん [帰省]
今回の帰省の目的は、祖母の見舞いでした。
冬には、もうダメかと言われていて、
帰る直前には、ノルウィルスに感染・・・、
介護していた母も感染・・・、
疲れきった母は、一週間施設に祖母を預けていました。
運良く、家から歩いて10分程の施設なので、早速面会に。
ベットに寝たきりの姿を想像して行ったら、
なんとまあ、車椅子に座ってホゲーっと寝ておった。
思ったより元気そうで安心。ってか、また復活しとる(笑)。
まだまだ生き延びそう!がんばれ!
車窓から [帰省]
白神山地が見えます。
この日は天気も良くて、男鹿半島も見えました。
途中でリゾートしらかみ「くまげら」とすれちがい、
しばらくすると、今度は、リゾートしらかみ「青池」とすれちがい、
三兄弟見れてよかったわぁ。
なんとも贅沢な列車旅・・・。
内陸に入ると、今度は岩木山に心を奪われます。
五所川原で「走れメロス号」を見ました。
これはどこの駅だったけなぁ?なまはげ!
18:30頃、弘前駅到着。
今度は、お弁当食べながら乗りたいです。
なんか昔っぽい電車って、なくなりつつあるなぁ。
あっ、弘前駅の発車ベルって、津軽三味線なのね!
なんか、かっこいい。
残念ながら、桜はまだなようだったので、弘前城には寄らず。
ちょこっと待ち時間があたので、駅前に出てみました。
都会だわぁ~弘前。
つづく