帰省 番外編 [帰省]
コピーをとりに、近所のサークルKへ。
わさお商品がいっぱいでした。
やく氏って、ご両親が角館出身なんですね~。知らなかった。
隣の美女は、大館生まれ横浜育ちのジャスシンガーmegさん。
なかなかインパクトあるポスターです。
帰りのバスの中で食べた鶏めし弁当。やっぱ、うまい!
久々に、顔出ししてテンション上がりました!
悲しいお別れ [帰省]
3月2日、伯母の火葬、4日はお葬式でした。
伯母は体調がいまひとつだった為、
仕事も体力的に辛いらしく、やめたいと言っていたそうです。(実家は、青果店)
一階が店舗で二階が住居スペース。
階段の上り下りもきつくなってきたので、
店もそろそろ閉めて、
使わなくなった一階の倉庫スペースを部屋にするリフォームをしていたそうです。
それが、もうすぐ完成するところでした。
これからゆっくりできる、そんな矢先の出来事だったのです。
なんともやりきれないです。
残された家族がね、辛いままだよね。
死ぬ前に、一瞬でも家族の事、考えてほしかった・・・。
私、子供の頃、ささいな事で「死んだら楽になれるのかな?」って思った時があって、
でも、その前に、「自分が死んだらどうなるのか考えてみよう」って思って、考えたのね。
そしたら、いろんな人が泣いてて、なんかこれって、すごい迷惑かけんじゃん!
って思ったら、うかつに死ねないなって思った。
悩んでる時に、話を聞いてあげられなかったこと、みんな悔やんでいると思う。
母が、先祖の供養だけは、ちゃんとやらなきゃダメよ!と、私と弟に言った。
そこの家は、家業が忙しいからと言って、おじいちゃん、おばあちゃんの供養、
あんまりちゃんとやっていなかったから・・・。
そういうの、全部、生きてる自分にふりかかってくる。
まぁ、一つの考え方だけどね。
1月におばあちゃんの見舞いで帰省した時、
おばあちゃんの甥っ子が、奥さんと病院に見舞いに来てくれたんだけど、
その帰り道、交通事故に会って、救急車で病院に戻ってきたそうだ。(後から聞いた話)
車は大破したけど、二人は、軽い打ち身ですぐ退院。
相手の人も無傷だった。
たぶん、ご先祖様が守ってくれたんだと思う。
おばあちゃんが天国へ行って、これで、親の世代に世代交代。
先祖の供養とか、なんか身近にひしひしと感じられる、そんな年齢になってきたなぁと思う
今日この頃です。
お葬式 [帰省]
男の人は、後ろ襟に、女の人は、髪に、さらしを付けます。
理由は不明。昔からですね。
お寺でやるより、快適でよかったなぁ。暖かいし!
途中、坊さんのお経の時、誰か寝てたー(笑)
※今の住職は、先代が早くに亡くなられた為、まだ若いです。ユリオカ超特q似です。
こんなのあるんだね!(好物ろうそく)
供物やお花もたくさん。最近は、缶ビールとか缶詰とか、ダミーなのね。
運ぶとき重いから。本物は別送でダンボール箱で届くのよ。
葬式、法要、無事に終了。
その後は、故人を偲んでの食事会。
人数が少ないので、全員着席でゆっくり食べれました。
(関東の方とは、ちょっと違うかもね。大館は、東京のような通夜はないので)
昔に比べ、いろんな事が簡素化されてきて、準備とか楽になってきてます。
特に、今回は、おばあちゃん、
生前(おじいちゃんが亡くなった時)に戒名を作っていたし、お墓にも彫ってあるし、
そっち方面での準備は何もなかったので楽でした。
でも、その肝心の戒名がなんだったのかわからず、
もらっているはず?の用紙も見つからない、
寺も、先代の住職が付けたからわからんとの事。
その為、おじさんと、弟が、墓までスコップ持って見に行ったのである(笑)。
なんせうちの墓は、一番奥なので、冬はたどりつくのが不可能。
それでも最近葬式があったとかで、途中まで道がついてたらしく無事生還。
おばあちゃん、ちゃっかり、おじいちゃんよりいい戒名付けてんだよね~。
いやぁ~でも、遺影の写真とも雰囲気が合って、立派なかんじだったよ。
最近って、遺影の額縁もカラフルなんだよね。
おばあちゃんのは、薄いピンク色だったんだけど、
偶然、棺の色もピンクだったし、トータルコーディネート!?で素敵でした。
きっとおばあちゃんも喜んでいることでしょう。
2月28日 [帰省]
葬儀まで間が二日あったので、比較的ゆっくり準備が出来ました。
が、この日の昼過ぎ、
伯母が自ら命を絶つという事件がおき、大変な騒ぎとなりました。
本当ならすぐに駆けつけるところなのですが、、
うちもまだ葬儀すら終わっていない為、動くことができません。
最近ノイローゼ気味との事で、心配してたところでした。
病院変えた方がいいよとアドバイスし、
3月1日に検査に行く予定でした。
伯父は、検査に付き添うので、うちのおばあちゃんの葬儀には出れないということで、
長男を埼玉から呼び、出席させる予定になっていました。
後から聞いた話ですが、その長男君は何も知らずに、
家の前にパトカーが止まって大騒ぎになっているので、びっくりしたそうです。
いくら秋田県、自殺者が多いとはいえ、身近でこんな事が起きるなんて。。。
こんなこと、あっていいのか・・・母は絶句していました。
なんだか眠れず、朝が来ました。
28日は、おじんちゃんの命日です。
おばあちゃん、おじいちゃんの命日の近くに逝ったんだね。
さらには、弟の命日と一緒だったようです。
子供がいなかったおばあちゃん。
おじさんが昔、おばあちゃんに聞いたことがあるそうだ。
兄弟達、皆、子沢山なのに、なんでうちのおじいちゃんと、おばあちゃんの間には
子供がいなかったのか?
おばあちゃんの話だと、おじいいちゃんが子作りしてくれなかったらしい。
おじいちゃんと、おばあちゃんの間に何があったのかは、もはや誰も知らない。
でも、母を養女にもらい、おじさん(おばあちゃんの姉の子供)も育てた。
おじさんは、生まれて間もなく母親が亡くなったのでおばあちゃんに育ててもらったのだ。
どれだけ、かわいがっただろう。どれだけ、愛を注いだだろう。
そして、母も、おじさんもグレることなく、よく育ったもんだ。
私は、おばあちゃん、おじいちゃんを誇りに思う。。。。
2月26日 [帰省]
13:40、お別れの儀。
おばあちゃんに、薄化粧をしてあげた。
紙に書いたお金も、いっぱい持たせてあげた。
棺の中に、お花をいっぱい入れた。
この時、用意してくれたお花も、ピンクを基調にとってもかわいい花ばかり。
14:10自宅より出棺。
15時火葬。
この日は、寒かったけど、いい天気だったよ。
火葬から戻って、お清め。
注文していたお寿司、オードブルをつまみ、酒を飲む。
18時頃には解散し、寝床の準備。
家には、おじさんと、弟も帰ってきていたので、
湯たんぽ準備したり、布団敷いたり。
父は、超酔っ払って、手に負えないかんじ
お花もたくさん届けられ、賑やかです。
2月25日 [帰省]
前日、23時に寝て、次に目を覚ましたのが1:40分。
母と、「息してるね」と確認。
苦しいのか、舌を出している。酸素を欲していたんだよね。
今考えるとそう思う。。。
前日あまり寝ていなかったのと、雷雨の音で、その後くたっと眠りました。
雨の音で、寝息も聞こえなかったし・・・・。
おばあちゃんが、寝せてくれたんだと思います。
次に起きたのが朝5時。雨もだいぶ弱くなっていた。
母が「息してねぐね?」と言って、父を呼びに行き、すぐ119番。
普段から顔も冷たかったし、脈も、どこ触ってもいまいちわからないし、
ほんとに死んでいるのかよくわからなかった。
救急が到着するまで心臓マッサージしてくださいと言われ、
やってみたが、手ごたえはぜんぜんなし。
口は、死後硬直で堅く、もはや開かない状態で、
あ~だめなんだなぁ・・・って思いました。
救急の人が来たけど、
死斑も出ているし、亡くなってたぶん三時間はたっていますねとのこと。
死亡時刻はたぶん午前二時だろうと。
私達が最後に見て、まもなく天国へ旅立ったようだ。
あぁ~、あの時が最後だったのか・・・と思うと、
最後に、一緒にそばにいてあげられて、本当によかったと思いました。
で、AEDもすることもなく、いちおう心電図をとってみたけれど、心拍停止状態。
救急隊員が、警察に連絡をとってくれて、
しばらくして警察の人が到着。
検視が始まり、私達は部屋から出され、居間で事情聴取。
最近、町で、保険金殺人などがあったせいもあり、けっこう根掘り葉掘り聞かれた。
警察官いわく、事件のあった家は、
家に入った時に、だいたい雰囲気でわかるのだそうだ。
病院に最初に入院した日付、ペースメーカーの手術日、
年金の金額、家族の収入、私の帰省日付、
薬の投与の記録、最後に見た時間、
傷やあざは、いつから、なんでついているか?、
虐待するわけないやん(笑)
本当にこと細かく聞かれた。
それでも、母が、闘病日誌をつけていたので、
それを見せると、「こーいうのがあると、大変助かります~」だって。
おばあちゃんの苗字と、両親の苗字が違うのも聞かれ、
父が説明すると、「あー、サザエさんのマスオさんね!」(笑)
なぁ~んにも問題ないですね。ってことで、聴取は終了。
しばらくして監察医到着。
ペースメーカーは、火葬の時に爆発するので、切開して出してくれた。
警察の人が、
時間外?になるし、死亡診断書は、ちょっと高いよ、たぶん三万くらいと言っていた。
そ、そんなにするの?ってことは、病院で死んだほうがいいのかな?
しかも、その診断書午後三時じゃないと出ないってことで、
それまで、とりあえず、買い物行ったり、銀行行ったり、葬儀屋に連絡したり、親戚に連絡したり。
午前中には、主な親戚の人達が到着。
おばあちゃんの、姪っ子、甥っ子達が着てくれました。
男の人達は、駐車スペースの雪かき。
女の人達は、昼ご飯、晩ご飯の準備。
そういえば、死亡時刻が2時頃だと言った時、
おばあちゃんの実家の家と、親しかった友達の家の電話が2時頃鳴ったそうだ。
ってことは、やっぱり2時頃なんだろうなぁ。
お昼、皆で、わいわい、おばあちゃんの話などをしてにぎやかだった。
ふと、おばあちゃんを見に行くと、顔が笑ってる!
死んでからも、顔って変わるんだね~びっくりした。
そして、とてもいい、おだやかな、笑っている顔。
みんなの話を聞いていたんだね。
ホントに生きてるみたいで、何度も目を疑ったほどです。
15時頃、父と死亡診断書を取りに行き、市役所へ死亡届を出しに行った。
16:30頃、急遽、お寺の住職が来てくれた。
翌日の葬儀の準備で行けないとか言ってたのに、よかった、よかった。
こういう時、お寺が離れていると、大変だなぁ。
住職の話、とてもいい話でした。
人間、誰しも自分の希望通りの日、希望通りの場所、希望通りの人達に見守られて
亡くなることなんて、めったにできない。
(うちのおばあちゃんは、幸せだったんじゃないかなぁ。。。)
でも、長生きしていれば、楽しいことも多いけど、
同じだけ辛いこと、悲しいこともたくさんもあったんだよ、と。
なんか、それって重いね。
大往生おめでとー!的な雰囲気でお祝い気分だったけど、
なんか、すごく考えさせられました。
17時過ぎに、葬儀屋の人が来て、湯灌→納棺を皆でやりました。
藤色のきれいな着物を着て、ピンクのとてもかわいい棺に入りました。
昔と違って、今はいろいろと種類があるんだね。
こういう色身なんかのバリエーションも、大切だなぁ~って思いました。
どうせやるなら、センスが良くて、見栄えする方が気持ちいいんもん。
この日は、線香を絶やさぬよう、居間でごろ寝。
皆、疲れたのか、ちょっとダウン気味。みんな歳とったなーと思った。
帰省二日目 [帰省]
帰省して、そうですねぇ~2月中は、毎日暖かかったです。
おばあちゃんの看病で手が離せなかった両親にかわり、
両親のお友達夫妻が、雪かきを手伝ってくれました。
庭に面した部屋のガラスが危機だったのですが、
結局途中までしかできませんでした。
おばあちゃんは、何も食べていないのに、タール便が大量に出て、
母と、「いったい何が出てるの?」と顔を見合わせてしまいました。
母が、「最後にお風呂に入れてあげたかったけど、施設に相談したら、
ドクターストップがかかって保留になっている」との事。
ならばと、買い物に行ったついでにドライシャンプーを買い、
頭をシャンプーしてあげました。
ついでに、清拭もして着替えもしてスッキリ。
左胸に入れているペースメーカーが、痩せてきて、はっきり浮き上がっています。
右肺のあたりが、異常なくらいカチカチに腫れあがっていたので、
病院へ連れて行こうか?と話しましたが、とりあえず、明日金曜日でまだ平日だから、
今日一日様子を見て、明日連れて行こうということにしました。
私達も、夜、ちょこっとビールを飲んで、お風呂に入り、23時に就寝。
予報どおり、夜から雷雨がすごくて、ザーザー降りに。
なんとなく、今夜危険だね~ということで、
母と、おばあちゃんのベットの横に布団を一枚敷いて、母と一緒に寝ることにしました。
つづく・・・
戻ってきました [帰省]
いろんな事があって、なんかもう一ヶ月ぐらい帰省してたような気分です。
やっと疲れも取れてきました。
これから数日は、帰省日記になります。
なんか書くことで心の中が整理されるような気がするので・・・。
2月23日、19:22盛岡着。
雪は、車道は完全に無いです。
バス、3人しか乗りませんでした。
おばあちゃんは、数日間、
大声で「痛い、苦しい、死にたくない」と叫んでいたそうですが、
私が着いた頃には、意識朦朧中。
それでも、大きい声で呼んだら、
声にならない「は~い」という返事と、一瞬笑ったのです。
母がびっくりして、涙、涙・・・。
前の日から、食事も水も飲まなくなっているらしく、
かろうじて口を開けたすきに、スプーンで水滴を流し込んであげる。
それでも、かなり全身が痛いのか、くしゃおじさんのように顔をぎゅーっとしかめている。
とりあえず、呼びかけに目を開けて返事をしたので、少し安心して就寝。
だが、夜中中、うめき声が聞こえて眠れず。
声がしているという事は、生きてるから大丈夫だな!
と思うようにして眠ろうとしたのだが、だめだった。
朝5時頃、一瞬眠りに落ちていた時、屋根の上でカラスが騒いでいた。
最初、カラスだと気付かず、
「はよ来い!はよ来い!カー、カー、カー!」と聞こえて飛び起きたのだ。
なんて不謹慎な奴!と怒りがこみ上げできた。
おばあちゃんの部屋に行ったら、まだ生きていたので安心した。
でも、手を上げて、何かつかもうとしてる?
なんだろう?幻覚でも見ているのか?
おばあちゃんの弟が死ぬ間際に、こういうかんじだったらしい。
親戚の人が、似てるなぁ・・・と言っていたそうだ。
つづく・・・。