2月25日 [帰省]
前日、23時に寝て、次に目を覚ましたのが1:40分。
母と、「息してるね」と確認。
苦しいのか、舌を出している。酸素を欲していたんだよね。
今考えるとそう思う。。。
前日あまり寝ていなかったのと、雷雨の音で、その後くたっと眠りました。
雨の音で、寝息も聞こえなかったし・・・・。
おばあちゃんが、寝せてくれたんだと思います。
次に起きたのが朝5時。雨もだいぶ弱くなっていた。
母が「息してねぐね?」と言って、父を呼びに行き、すぐ119番。
普段から顔も冷たかったし、脈も、どこ触ってもいまいちわからないし、
ほんとに死んでいるのかよくわからなかった。
救急が到着するまで心臓マッサージしてくださいと言われ、
やってみたが、手ごたえはぜんぜんなし。
口は、死後硬直で堅く、もはや開かない状態で、
あ~だめなんだなぁ・・・って思いました。
救急の人が来たけど、
死斑も出ているし、亡くなってたぶん三時間はたっていますねとのこと。
死亡時刻はたぶん午前二時だろうと。
私達が最後に見て、まもなく天国へ旅立ったようだ。
あぁ~、あの時が最後だったのか・・・と思うと、
最後に、一緒にそばにいてあげられて、本当によかったと思いました。
で、AEDもすることもなく、いちおう心電図をとってみたけれど、心拍停止状態。
救急隊員が、警察に連絡をとってくれて、
しばらくして警察の人が到着。
検視が始まり、私達は部屋から出され、居間で事情聴取。
最近、町で、保険金殺人などがあったせいもあり、けっこう根掘り葉掘り聞かれた。
警察官いわく、事件のあった家は、
家に入った時に、だいたい雰囲気でわかるのだそうだ。
病院に最初に入院した日付、ペースメーカーの手術日、
年金の金額、家族の収入、私の帰省日付、
薬の投与の記録、最後に見た時間、
傷やあざは、いつから、なんでついているか?、
虐待するわけないやん(笑)
本当にこと細かく聞かれた。
それでも、母が、闘病日誌をつけていたので、
それを見せると、「こーいうのがあると、大変助かります~」だって。
おばあちゃんの苗字と、両親の苗字が違うのも聞かれ、
父が説明すると、「あー、サザエさんのマスオさんね!」(笑)
なぁ~んにも問題ないですね。ってことで、聴取は終了。
しばらくして監察医到着。
ペースメーカーは、火葬の時に爆発するので、切開して出してくれた。
警察の人が、
時間外?になるし、死亡診断書は、ちょっと高いよ、たぶん三万くらいと言っていた。
そ、そんなにするの?ってことは、病院で死んだほうがいいのかな?
しかも、その診断書午後三時じゃないと出ないってことで、
それまで、とりあえず、買い物行ったり、銀行行ったり、葬儀屋に連絡したり、親戚に連絡したり。
午前中には、主な親戚の人達が到着。
おばあちゃんの、姪っ子、甥っ子達が着てくれました。
男の人達は、駐車スペースの雪かき。
女の人達は、昼ご飯、晩ご飯の準備。
そういえば、死亡時刻が2時頃だと言った時、
おばあちゃんの実家の家と、親しかった友達の家の電話が2時頃鳴ったそうだ。
ってことは、やっぱり2時頃なんだろうなぁ。
お昼、皆で、わいわい、おばあちゃんの話などをしてにぎやかだった。
ふと、おばあちゃんを見に行くと、顔が笑ってる!
死んでからも、顔って変わるんだね~びっくりした。
そして、とてもいい、おだやかな、笑っている顔。
みんなの話を聞いていたんだね。
ホントに生きてるみたいで、何度も目を疑ったほどです。
15時頃、父と死亡診断書を取りに行き、市役所へ死亡届を出しに行った。
16:30頃、急遽、お寺の住職が来てくれた。
翌日の葬儀の準備で行けないとか言ってたのに、よかった、よかった。
こういう時、お寺が離れていると、大変だなぁ。
住職の話、とてもいい話でした。
人間、誰しも自分の希望通りの日、希望通りの場所、希望通りの人達に見守られて
亡くなることなんて、めったにできない。
(うちのおばあちゃんは、幸せだったんじゃないかなぁ。。。)
でも、長生きしていれば、楽しいことも多いけど、
同じだけ辛いこと、悲しいこともたくさんもあったんだよ、と。
なんか、それって重いね。
大往生おめでとー!的な雰囲気でお祝い気分だったけど、
なんか、すごく考えさせられました。
17時過ぎに、葬儀屋の人が来て、湯灌→納棺を皆でやりました。
藤色のきれいな着物を着て、ピンクのとてもかわいい棺に入りました。
昔と違って、今はいろいろと種類があるんだね。
こういう色身なんかのバリエーションも、大切だなぁ~って思いました。
どうせやるなら、センスが良くて、見栄えする方が気持ちいいんもん。
この日は、線香を絶やさぬよう、居間でごろ寝。
皆、疲れたのか、ちょっとダウン気味。みんな歳とったなーと思った。
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